涙で滲む約束の先に

あべくんと矢花くんに幸あれ

SNSとアイドルと私

船中生活3日目、いま私はオホーツク海のあたりを彷徨う船の中にいる。たぶん。基本的に電波も届かないこの生活が1週間以上続くと思うと気が狂いそうなので先程わずかな電波を受信したときに読み込んだ昨日の矢花くんのブログについて考えてみようと思う。(詳しくはジャニーズweb 異担侍日報侍ふvol.006 参照)

あとどうか矢花くんは読まないでください。

 

 

 

 


オタクとSNSは切っても切り離せない関係にあると言っていい。情報をいち早く入手するにはSNSが1番早いしなかなか近くにはいない(見つけられない)同志と感想を言い合ったり好きを共有したり、時には遊んだり現場に一緒に入ったりするオタク友達を作るには最適で便利なツールだと思う(し、電波が使えない生活でいかにTwitterを自由に見られないことが辛いか思い知っているところである…)。

 


SNSの普及により良い面でも悪い面でもでアイドルとオタクの距離感が近付いていると感じるのもまた事実だ。ジャニーズで言えばIsland TVへのリプライとかYouTube、インスタへのコメントとかファンレターよりカジュアルに推しへ想いを伝えることが出来るようになったと思うし、実際本人たちから度々SNSを見ているような発言も増えてきているように感じる。

その一方でそれを逆手にとって誹謗中傷まがいの言葉を投げつける人がいるのも事実である(誹謗中傷と表現の自由の境目って難しいところだしわたしも常々気をつけなきゃいけないと思ってはいるけど)。お互いオープンになってることが暗黙の了解になってしまってアイドル側が過度にオタクに忖度するように、しなければいけないという風潮に、なってきているようにも感じる。勝手だけど、ひとつそれに応えてしまうとオタク側が当たり前になって過激化してしまうのが怖いからアイドルには理想に応えるべきだとか要求に応じなきゃいけないとか思って欲しくないなと思わずにはいられないし出来れば見ないフリをして欲しいとも思ってる。勝手だけど。

 

そんなときに読んだ矢花くんの今回のブログは率直にまあそうだよな、と思った。私も好き勝手言ってる自覚はあるしそれを不特定多数の顔の見えない人間から発せられる違和感は計り知れないであろう。

でも多分矢花くんが勘違いしてるところがあって、オタクは推しの寸分狂わないパーソナルデータを欲してるわけじゃなくて、身勝手な生き物だから僅かな情報から好き勝手想像して思いを巡らせるのが好きな生き物であるということ。(えっもしかして私だけ?)(jo〜垢は別として)だから矢花くんがどれだけ現実の「矢花黎」に近付けさせるためにいろんな情報をくれてもその情報から好き勝手に想像してあれこれ言うのをきっとやめられないんだと思う。矢花くんの使う"理想像"という言葉は"妄想による虚像"と言った方が正しいかもしれない。それがもしかしたら矢花くんの言うところの"「自己像」と「理想像」の乖離"の根源なのかもしれないな〜と思っり思わなかったりするのでした。チャンチャン🎶

 

 

 

つまり何が言いたいかというと

オタクって死ぬほどめんどくさい生き物でごめんね!!

 

 

 

 

P.S.矢花くん、もし万が一読んでるのであれば次のブログはなぜ人間はこんにゃく芋からこんにゃくを作ろうと思ったのか、とかどうですか?あんな固いものからにゅるにゅるの蒟蒻が作れると思った人間正気じゃないと思います。